熊澤淨一先生を偲んで
熊澤淨一先生に於かれましては、昭和59年に九州大学医学部泌尿器科学教室の第四代教授に就任され、官学で最初に開講された伝統ある教室を平成10年まで主宰なさいました。昭和58年に(なんとか)入学し、平成元年に(どうにか)卒業した私にとりましては、医学部学生として「泌尿器科学」を教わった恩師でもあります
。
弓道部の誕生が西医体の主管校となった昭和32年に遡り、先生を含めた先輩方が奔走されたことはあまりに有名なエピソードですが、私が主将の代に西医体の主管校が巡って参りましたのも、何かのご縁と感じざるを得ません。先生に弓道部の部長をお引き受け頂いたのは、確か(主管を終えてホッとした)その直後と記憶しております。
私の卒業成績は67点でしたが、「法医学(88点)」・「精神身体医学(86点)」・「耳鼻咽喉科学(82点)」に次ぎ「神経精神医学(81点)」と並ぶ高い点数を賜り、私の卒業成績をグッと押し上げて頂きました。(卒業させて頂いた)感謝の念を忘れまいと、昭和61年に発刊された『新泌尿器科学』が書棚の中央に鎮座しております。
卒業後は「放射線科学(64点)」に入局しましたが、泌尿器科領域の診療に接する際は、今もコッソリ『新泌尿器科学』を繙いております(その多くは、泌尿器科領域の医学用語を失念した際ですが…。)。また佐藤伸一先生(済生会八幡総合病院)や溝口裕昭先生(国立大分病院)にも、「泌尿器科学」の枠を越えた(規格外の)ご指導を賜り、今日の私(のキャラ)が確立されたものと自負しております。
平成25年に疾風会の会長を仰せつかり、毎年九月にご相伴に与る機会を得ました。いつも楽しい話をお聞かせ頂き、その都度『疾風会総括』にご登場頂きながら、ホーム・ページに連載致しました。先生のお人柄の全てを伝えきれなかったかもしれませんが、どうぞご容赦ください。
不束な会長ではございましたが、後輩の一人として常に優しく接して頂き、感謝の言葉もございません。これからはどうぞ、ゆっくりなさってください。これからの弓道部も、先生の想いを胸にその道を歩まれんことを祈りながら、疾風会の皆様と共に見守ってゆきたいと思います。合掌。
平成元年卒業 平賀聖久
(令和二年 二月)