医学部弓道部

熊澤浄一先生への追悼文

 平成31年3月19日にご逝去されました九州大学医学部弓道部OB会顧問の熊澤浄一先生(昭和34年卒)を偲んでこの度、 OB会長の平賀清久先生に追悼文を執筆していただきましたのでご紹介いたします。 熊澤浄一先生のご冥福をお祈りいたします。


熊澤淨一先生を偲んで


平成元年卒業 平賀聖久


  熊澤淨一先生に於かれましては、昭和59 年に九州大学医学部泌尿器科学教室 の第四代教授に就任され、官学で最初に開講された伝統ある教室を平成10 年ま で主宰なさいました。昭和58 年に(なんとか)入学し、平成元年に(どうにか) 卒業した私にとりましては、医学部学生として「泌尿器科学」を教わった恩師 でもあります。
 弓道部の誕生が西医体の主管校となった昭和32 年に遡り、先生を含めた先輩 方が奔走されたことはあまりに有名なエピソードですが、私が主将の代に西医 体の主管校が巡って参りましたのも、何かのご縁と感じざるを得ません。先生 に弓道部の部長をお引き受け頂いたのは、確か(主管を終えてホッとした)そ の直後と記憶しております。
 私の卒業成績は67 点でしたが、「法医学(88 点)」・「精神身体医学(86 点)」・ 「耳鼻咽喉科学(82 点)」に次ぎ「神経精神医学(81 点)」と並ぶ高い点数を賜 り、私の卒業成績をグッと押し上げて頂きました。(卒業させて頂いた)感謝の 念を忘れまいと、昭和61 年に発刊された『新泌尿器科学』が書棚の中央に鎮座 しております。
 卒業後は「放射線科学(64 点)」に入局しましたが、泌尿器科領域の診療に接 する際は、今もコッソリ『新泌尿器科学』を繙いております(その多くは、泌 尿器科領域の医学用語を失念した際ですが…。)。また佐藤伸一先生(済生会八 幡総合病院)や溝口裕昭先生(国立大分病院)にも、「泌尿器科学」の枠を越え た(規格外の)ご指導を賜り、今日の私(のキャラ)が確立されたものと自負 しております。
 平成25 年に疾風会の会長を仰せつかり、毎年九月にご相伴に与る機会を得ま した。いつも楽しい話をお聞かせ頂き、その都度『疾風会総括』にご登場頂き ながら、ホーム・ページに連載致しました。先生のお人柄の全てを伝えきれな かったかもしれませんが、どうぞご容赦ください。
 不束な会長ではございましたが、後輩の一人として常に優しく接して頂き、 感謝の言葉もございません。これからはどうぞ、ゆっくりなさってください。 これからの弓道部も、先生の想いを胸にその道を歩まれんことを祈りながら、 疾風会の皆様と共に見守ってゆきたいと思います。合掌。

平成元年卒業 平賀聖久
(令和二年 二月)