九州大学医学部・医療技術短期大学部弓道部

戦績・観戦記

あのとき

注:戦績・観戦記は書かれているままに載せています

第31回西日本医科学生総合体育大会
   
【1979/07/26−28 橿原公苑弓道場 主管:奈良県立医科大学】

杉尾、堂々の個人優勝を果たす!

 第三十一回西日本医科学生綜合体育大会弓道部門は、七月二十六日から七月二十八日までの三日間、奈良県の橿原公苑弓道場に於いて、奈良県立医大の主管で開催された。
 試合前、我々は必勝を期して七月十五日〜二十三日まで強練を行ない、二十四射で二十中の驚異の的中が出たり、六十中も何度も超えるような出来であったが、試合数日前から調子が落ちてきた。そんな中で杉尾のみが終始高率の的中を出していた。
 さて、このように最後に一抹の不安を残しながらも七月二十四日十一時に、博多駅を後にした。
 翌二十五日の矢付けでは二立行なって二十一中と不調であり、練習道場で最後の調整を行なうこととなった。
 試合当日、九大は二十校中十七番目の立順であり、開会式後三時間以上も待たされる羽目になった。
 さて、いよいよ一立目、なんと一手が終って二中という出足。それでもあとなんとか頑張り、九中に終わった。立ち終了後、主将杉尾の「二手目の粘りがあるんだから気合入れていけ」という激がとんだ。しかしながら二立目も八中と全く調子が出ずじまいであった。三立目は、もう八時ごろになっており、外は真暗であった。一手目は鈴木さんの二中のみ、そして不調山田がドソクってしまった。こんなふうで七中に終わり、とうとう初日は一度も二桁の中りを出せない不甲斐なさであった。初日を終わった時点で十四位と、もう入賞も絶望的となってきた。
 二日目は、もう団体戦のことは意識せず、個人戦のための調整を心がけて引くようにした。
 四立目、立順を大幅に変更して臨むと、待望の羽分けがやっと出た。しかし、五立目はまたも一桁の九中と、結局計四十五中という近年まれな低い本数に終わってしまった。順位は十二位であった。応援していただいた先輩方、ほんとうに申し訳ありません。
 さて、三日目の個人戦、心機一転巻き返しをはかる九大は一次予選で七人中四人までが通過した。しかし二次予選では杉尾は危なげなく通過したが、山田・牟田口さんはあと一本の所で力尽きた。何の表彰も手にしていない九大にしてみれば、杉尾のみが頼りとなった。しかし彼は射詰に残った者の中で一番安定して、又落ち着いており、みごと五本詰めて個人優勝をものにした。これは久々の快挙である。
 本大会には教養一年から二人出場してよく頑張ってくれたが、これからも精進して、明日の九大に栄光をもたらしてほしいものだ。−文責 山田−     

団体戦(四矢五立 計120射)

優勝:岡山大学 64中
準優勝:金沢大学 62中
3位:岐阜大学 60中
一立目 二立目 三立目 四立目 五立目
大前 山田 ××○○ ○××× ×××× 石田×○×○ ×××○ 6
二的 鈴木 ○××○ ×××× ○○×○ 石丸××○○ ××○× 8
三的 石丸 ×××× ×○×○ ×××× 牟田口××○× ××○× 4
四的 牟田口 ×××○ ○×○× ×××○ 鈴木×○○○ ○×○× 9
落前 石田 ×××○ ×××× 岡田××○× 山田×○×× 岡田×××× 2
杉尾 ○×○○ ○○○× ××○○ ×○○○ ○○○○ 15
岡田 1
9 8/17 7/24 12/36 9/45

個人戦

優勝:杉尾賢二
男子
一次予選 二次予選 決勝射詰
石丸 ×××○
鈴木 ○○××→ ××
牟田口 ○○○×→ ○×○×
杉尾 ○○○○→ ○○×○→ ○○○○○
山田 ○○×○→ ○○××
石田 ××××
岡田 ××××

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